従者の名前はホッフール

ブシドーMMO/柳生を見て唐突に思い付いたので即興で書いてみた。

ネバー柳生

中世、完全な形の聖書はバチカン柳生の教皇でさえ読む事は出来なかった。
聖書が宗教的聖典であると同時にバチカン柳生の秘伝書であったのがその理由である。
全ヨーロッパを掌握しようとしていたバチカン柳生にとって、聖書の全てを公開し術理をさらけ出す事は自殺行為に等しい。
故に聖書は剣聖ペテロ直系の一族により厳重に管理され、新教皇の即位の度に新しい術理を一つ授けると言う形を取る事でバチカン柳生は神秘性と軍事的優位を保っていた。

柳生バスチアが総本山を訪れた年は定かではないが、当時10か11の子供であったらしい。襤褸を纏い、一冊の本を抱えていたと言う。
彼は突然ペテロの前に現れると(かの一族は代々ペテロを名乗る)、「月子」と言う未だ公開されて居ないはずの型を披露して見せた。
彼はバスチアを総本山に連れて行き、厳重に調べたが不審な点は見つからなかった。それどころか彼は月子の名はおろかバチカン柳生の術さえ何一つ知らなかったのである。
「月子」は簡単な型ではない。何一つ知らぬ身でそれだけを自得したならばそれは神の意思であろう。
こうしてバスチアは選ばれた子、次期教皇として総本山で教育を受ける事となった。

成長したバスチアはバチカン柳生の術理を修め、当代最強の剣士と呼ばれるまでになった。
即位式に列席した誰もがバチカン柳生の栄光を夢見たと言う。
だが、その即位式が彼を歪めた。
すでに「月子」を修めていたバスチアには新しい術理が授けられなかったのである。
バチカン柳生を極めつくしたバスチアにとっては新しい術理こそが求める物だった。
それを得られずバスチアは絶望した。だが、剣を愛するが故に諦める事は出来なかった。
バスチアは考えた。教われないなら編み出せば良い。自分が編み出せないなら他人にやらせれば良いのだ。

こうしてバスチアは暇を見ては道場を回った。そして、少しでも型と違う動きをしている者に
「それはバチカン柳生に良く似ている。だがそれは別の術理、別の柳生としよう。」
と言っては印可を授け、新たな柳生の創設者として優遇した。
彼らはバチカン柳生をアレンジし、様々な型を生み出した。それは全てバスチアに伝えられた。
下手な鉄砲数撃ちゃ当たる、と言うわけである。
ある意味でバチカン柳生を冒涜しつくしたこの行為を他ならぬ教皇が行った事で、バチカン柳生は一気に腐敗した。
高弟は自らの権威のために片端から印可を授けた。印可を売り買いする者も現れた。

事態を重く見たペテロは一人の少年とその従者を選び、バスチアの暗殺を命じた。少年はバスチアの親友であった。
その立場からすんなりとバスチアに面会した少年はおもむろに剣を抜いた。
それを見たバスチアは、未だ見ぬバチカン柳生の術理を見る機会が訪れた事に狂喜した。少年など眼中になかった。
少年は悲しみと共にバスチアを打ち倒した。が、友を殺すことは出来ずそのまま姿を消した。
バスチアは怒り狂い、軍を率いてペテロの一族を攻めたが惨敗し、追われて野に隠れた。

そこで彼が見たのは威張り散らした素浪人と、虐げられる民の姿だった。浪人の手には印可状が握られていた。
バスチアは自らの行いが何を招いたかを知り、泣いた。即座に浪人を切り捨てたが、その為に役人に捕らえられた。
国外追放となり、国境に送られたバスチアは最後に一度だけ振り向いた。自分が招いた物をもう一度目に焼き付けておこうと思った。
そこに誰かが立っていた。あの少年だった。
少年は言った。「私がお前の代わりに異端の柳生を全て屠ろう。」
バスチアは言った。「一体どうすると言うのだ。今この瞬間にも金と権威が奴らを生んでいる。いくら斬ったとて追いつきはすまい。」
傍らに佇んでいた従者が笑いながら言った。「剣ですよバスチア。正統なる剣で!」
3人は笑い、別れた。

少年は名を変え、剣と聖書を以って腐敗を正すべく戦い続けた。
後の丸転守流太亞(まるてんのかみ るたあ)である。

バスチアの消息は知れないがこれもまた名を変え、イギリスに渡ったと言う。

けれどもこれは別の物語、いつかまた、別の時に話すことにしよう。